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2021/11/10 22:30

2011. November

木枯らし1号が吹き始め、気温や水温が下降しはじめると、鮎はどんどん河口に降っていく。此方では10月末から11月に変わる頃から鮎は産卵の準備に入る。

毎年この『生命の引き継ぎ』たる光景をみるのが大好きで、足繁くフィールドに通う。

鮎もトラウトも海より監察が厳しい。

絶滅しないように地元の人に守られているんですね。この共存している風情が何とも心地よくて大好きなんです。

釣りだけで訪れるのは勿体ないシーズンで、ミサゴやカワセミやサギや鵜など、様々な野鳥の活動を見学できるのでゆっくり川と寄り添ってみるのも粋なものです。

地元河川でも好調とはいかずとも今年も変わらず落ち鮎パターンにて綺麗なシーバス達に出会えております。


そして、自分の子供でもある『キョロキョロ140F』や、TULALAさんとコラボレーションして出来上がった『Glissando 810』と共にフィールドに立てる有難さ。

自分はもう他に望むものがないくらい幸せだったりしますが、そんな幸せを道具を通じて皆さんに感じてもらえたらこんな嬉しい事はありません。

人間、『我』に支配されたり時間に制約されると極端に視野が狭くなり、大切なことを見落としてしまいがちです。サラリーマン時代にはこの景観の有り難さに全く気付かなかった。

人や自然は鏡といいますが、この『かがみ』から『が(我)』を抜くと『かみ(神)』になる。と、どこかで聞いた事がありますがまさにその通りだなぁ〜と。

各地の神社には御神体として鏡が祀られていて、神社の鏡は一般的に太陽を刺しているといわれています。

毎年初詣に行くとき、数年前からこの『我』を抜いて感謝を伝える参拝をするようになりました。

よく見ると水面もまた自分を映す『映し鏡』

そこに我を捨てて水に浸ると、変わらない自然に対して様々ないざこざやエゴがとても小さく感じるようになるんですね。

人が人を呼び、結果トラブルやゴミが増え、釣り場や自然を失ってはじめて愚かさに気付く。

自然との対話を事欠いた結末だが、それらを守れるのも人間だけだと気付く。

想う事は大事だけど、それだけでは何も変わらない。

そもそも人間は何も変えられない。

作っていく事しか出来ない。

だからもっと自然にも魚にも人にも優しくありたい。

いち釣り人として、いちクリエイターとして価値観が僅かな人に伝わればそれでいい。

永年、この生命が未来に引き継がれる事を願い、創造し、行動するのが釣り人でありますように。